尋ねる勇気

三男は毎朝バスで高校に通っている。

20秒早く出発したことをお詫びするような国とは違って、何分も早く通過してしまったり、かと思うと、何十分も遅れることもあるのがこの辺りのバス事情。かつ、一時間に数本しかバスは通らない。

幸いなことに、7時20分のバスだけはうちの村で折り返しの始発になるので、かなり確実にバスには乗れる。

三男曰く、昨日は初めての運転手だった。そして、彼は「このバスは、ここで折り返し運転になるんだよな?」とたずねてきたらしい。で、続けて「ファルディ通りの方には行かないで、まっすぐケストヘイに行けばいいんだろう?ケストヘイの信号を左に曲がればいいんだよな?」というので、「そうだよ」と教えてあげたそうだ。

笑えた。きっと地元出身ではない運転手で、初めての仕事で、一応調べては来たけど、やっぱり心配だったのだろう。これが日本だったら「これって、どうなのよ!」と怒りの投稿か何かが新聞に載ってしまうのかもしれないけれど、高校一年生にたずねることを恥ずかしいとも思わないで確認するあたり、私は偉いと思った。

「お願いだから、前もって確認して!!」

職場で、こんなことを言わなくてはならない場面が増えていないだろうか?

分からないことが分からないのか、変な自信があるのか、こうしたら困ることになるかも・・・と予想がつかないのか、理由はいろいろありそうだが、とにかく独断で困った判断を下す職員に悩む現場とよく出会う。

と同時に、分からないから確認しているのに

「そんなこと自分で考えろ」と怒られたり「この前言ったよね」と突っぱねられてしまったり・・。

「失敗して覚える」「見て覚える」が美徳とされているせいなのか、これは、日本では昔からよくある光景だ。

ハンガリー人はよく確認する。それは、分からないからというよりは、「お互いが必ずしも同じ解釈をしているとは限らないから、念のために確認する」なのだと思う。

でも、確認するとなると、変なチェック表のようなものが現れるのも日本的なところで、「確認したのかしていないのか」というような話になってしまう。

そういうことではなくて、もっと日常的に、分からないことは分からないと言い合えたり、変に相手に気を使わないで確認できるような、ごく普通のコミュニケーションの一環としての「確認」「会話」ができるようになると、みんなが楽になるのではないかな・・・と思うのだけれど。

要は、コミュニケーション能力の問題、ってことなのかもしれませんね。