5時ですから! 続

ある日本企業が同じ機械を使って製品を作った時、日本で作ると不良品率は2%、ハンガリーの工場で作ると10%以上という結果が出たという。

これだけを見れば、日本人はすごい!ということになる。

でもね・・・と、友人のTさんと考え込んでしまった。

日本での仕事が終わると、100キロ離れた日本人のTさんに会いに行く。小さな山を一つ越え、車で1時間半。年に数回しか会えないけれど、日本のこともハンガリーのことも客観視しながら話のできる、貴重な友人だ。

当然のことながら、私の家族には日本人もハンガリー人もいる。だから、一方的なハンガリー批判、日本批判には気分が悪くなる。一方で、外国人としてハンガリーに、または日本のあまりの日本的さにうんざりすることもある。そんなあれこれを、いいところも悪いところも理解しながら率直に会話できると頭の中が整理されていく。(・・・ような気がする)

保育の仕事は、その国や社会と切り離しては考えられない。

保育がそのまま社会や国民性を形作るわけではない。これまでの歴史が作りだした土壌が放出する空気を、良くも悪くも、そこで生まれた人達はすいながら育っていく。人が個人として幸せに生きていけるように、そして、社会が、すべてのそこに存在する者たちにとってより良い場になるように、保育園はそんなことを願いながら、日々、試行錯誤を繰り返している。

その試行錯誤が、社会や個人にどういった影響を与えていくのか・・・。今の日本は、ハンガリーは、日本人は、ハンガリー人はということも考えていかないと、保育のことも考えられない。

で、先に出た2%と10%以上の不良品率について。

2%の結果を出す日本の工場の社員がどういった働き方をしているかは、想像がつく。「子どもの顔をちゃんと見たのは、生まれた時ぐらいだなー」が自慢になるような会社。

一方で、ハンガリーの会社員は定時になると帰っていく。これでは差がつくのは当たり前だが、その社員を取り巻く人間関係を想像してみると、個人やその個人を取り巻く人たちの人生の質はどうなのかな・・・と考えざるを得ない。

父親が家にいないことは、家族にどう影響してくるのだろう?

両親は、最も身近にいる、男女関係を示す見本だ。歪んだ恋愛観、たくさんの性被害・・・父親の不在とは関係ないことだろうか?

もうだめかもと思うような時期は、どんな夫婦にもあると思う。それを、どう乗り越えるのか。日々の細々とした衝突を、どう交渉し、解決していくのか。子どもたちは良くも悪くも、たくさんのことを両親から学んでいる。

「でも、やっぱり日本の2%ってすごいよね。ここがいい加減になったら、日本は日本じゃなくなる気がするし・・・。」

どっちが良いとか悪いとかではなく、そのことについて考え続ける。それが大切なのだと思う。日々、考える材料だらけで、ありがたいことです。

補足:「父親が家にいないこと」は、家族として一緒に生活しているのに、父親が家にいないことが当たり前の感覚なっている社会、という意味。離婚や死別、職業的にやむを得ないケースは別です(←私もここに含まれる)。