今、何している?

imananisiteru.jpg一年を通して、あちこちで開かれる民芸関係の催し物。普通の屋台に交じっていることもあるし、それだけの催し物のこともあるし。日本のような特別感はなくて、もっと市民に近いところに民芸がある感じ。

「そういえば、あの子どうしている?」 

小学校で大変だった子、高校での勉強が上手いこといかなくて卒業後はどこかでバイトしていると言っていた子、何したいか分からないからととりあえず外国に働きに行った子、何年間か浪人生活&アルバイト生活を送っている子・・・・。

みんなが普通高校―大学と行くことは珍しくて、みんなとにかくいろんな道を進んで、また、そこから次の道へと進んでいく。

「あの子は、外国に行っていたけど、お金を貯めて帰ってきて、今は工業系の大学に行っているよ」

「あの子は、今年からは経理系の短大に行った」

「あの子は大学をいったん休学して、外国でお金を稼いで来るって」

たしか、サッカー専門高校にいったはずだけど、選手になるには力が及ばず、勉強も中途半端になって親が心配している・・・と言っていたZ君も、今はまたどこかで勉強を始めたらしい。

子どもたちに、そういえば、あの子どうしているの?とたずねると、意外にも普通に進学していたり、国外で頑張っていたり、進路を変えて違う専門を見つけたりしていて、いろいろ悩ましかった時期のことは「ああ、そういえばそんなこともあったね」程度で終わっている。

当事者だった時も、そして、それが友人、知り合いの子どものケースだったとしても気が楽だなーと思うのは、こういった「いろいろな選択肢がある」がごく当たり前のこととして受け入れられていることで、ちょっとぐらい大変な時期を送っていたとしても、もしくは、何がしたいのか分からないみたい、ということだったとしても「ありえる範囲」としてとらえられ、周りが変に深刻に考えないことだ。

人生は常に途中経過だと思うと、どこの場面を切り取っても、それはどこかにつながっていく途中なわけで、だと思うと、ちょっとぐらい迷っていたり、足踏みしていたりしていても、その流れでどこかには繋がっていく。最後まで安定した人生を送る人などまずいないような国にいると「いろいろあるのが普通」になるのだろう。

日本の子どもたちが「いろいろな選択肢」を試そうとした時に一番面倒なのは、親や周りの反応ではないだろうか。「ちょっと回り道してみます」「休憩したいんです」「あっちも試してから考えたい」といった時に過剰反応されたり、深刻になってしまったりするから、ますます進みたい方向が分からなくなってしまう・・・ような気がする。

もう一つ、日本とハンガリーで違うかもしれないなーと思うのは「この子は何がしたいんだろう?」「この子のためには?」の「この子」が本当に子どもの視点に立ってのことなのかどうか。「あなたの人生だから、あなたが選んだことを最大限応援するよ」という親の姿勢は、仕事、結婚、子育て、いろいろな場面で感じられる。

ハンガリー人はよくしゃべるので口を出さないわけではないし、それどころか相手が思春期であろうとかまわずに大人は自分の意見を表明するが、あくまでも「私の意見を言っています」という種類のもので「私の意見を聞きなさい、私はあなたの親なんだから」「私が大人なんだから」といったものではないことが多い。そして、それを聞いている子どもも、きっと「うるさいな」とは思いながらも、かと言って、邪険にするわけでも、それに振り回されるわけでもない。(まあ、いろいろな家庭・関係があるので、あくまでも私の印象ですが)

子どもたちが大きくなってくると、一緒に育った子どもたちもいろいろな生き方を選んでいておもしろい。大変な思春期が、必ずしも大変な青年期やその後につながっているわけでもなく、逆の場合が多いのもかなり興味深い。

明日からは新学期。

うちの子たちはというと・・・準備もしないで、どこ行った??