hako to tumiki.jpg0歳児クラスにて。ごく一般的な積み木とお菓子の箱。どうやったらきっちり入るかな?と試していましたよ。引きだし式の箱だったのも面白かったようです。ちょっとしたものがあるだけで、子どものあそびの刺激になりますね ♪

そろそろ、次年度の環境が気になり始めていませんか?

担当制の保育を始めてまだまだ自信のない園にとって、新年度に一番悩むのが食事の場面ではないでしょうか。

それ、ほんとう?「自分で考えて下さい」

gohandesu.jpg                みんなお腹空いていたんだね! 

このところ天候が不安定で、毎朝着るものに悩んでいる。

何に悩むのかというと、保育園によって室内の温度が全く違く、時にはびっくりするど寒い園もあり、油断して行くとひどい思いをするからだ。

その中で裸足の乳児は、足が冷たくなっている。そして、隣にいる保育士は靴下を二枚重ねて、レッグウォーマーまでしている。これこそ児童虐待でしょと言いたくなる。

・・・書きたかったのはこういうことではなく、齢を重ねた大人でも外に何を着ていくかは悩む季節ですね、ということ。そして、先日いった園では、3歳の子どもが外に行くのにジャンバーを着るのかどうかで悩んでいた。

それ、ほんとう? あそびを見守る

junisi.jpg「十二支の運動会!」

ある保育園の1歳児クラスの子ども達のあそび。

発表会で、大きな子たちが見せてくれた「十二支」のおはなしの中の、"動物たちが走っている"と"運動会"がつながったようです。

部屋にあった十二支だけでは足りないと思った子どもたちは、ありったけのお手玉も並べて、運動遊具もすべて活用され、それこそ足の踏み場もないほどの、にぎやかな「運動会」が展開されていました ♪

(これも一種の構成あそびです)

時は、昼食のまさに直前。あそんでいる子はすぐにでも食事に呼ばれるタイミング。

担当の先生は、あららーと笑いながら、一緒に片付けていく。でも、子どもたちのあそびを楽しむ余裕も忘れていない。

それ、ほんとう? 保育士を守る‥の前に考えたいこと

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このところ、「保育士を守るために必要なんです」という表現を聞くことがある。

午睡時の5分間チェックはもちろん、室内に置く遊具にしても誤飲の可能性のあるものに関して、「保育士を守るためにも」置かないほうが良い、という言い方を聞く。

午睡時に子どもの様子を常に見ているのは当たり前のことで、年齢にふさわしくない細かな遊具をおかないというのも、保育園としてはごく常識的なこと。そこに「保育士を守るため」という言葉を添えることに違和感がある。

一つは、この言葉を添えることで、「乳児では細かなものは絶対に置いてはいけない」という極端な判断が下される可能性が高くなり、クラスの状態や個々の発達における必要性などは考慮されなくなる。と同時に、もし、それでもひも通しやペグさしのような、小さいけれど1歳の後半からは子どもたちが好むようなものを出したい場合は、大人としてどんな配慮をしていくべきなのか、子どもたちにどんなことを約束事として伝えていくべきなのか、そういったことを考える力、つまり、保育士としてのスキルが身につかないままになる。

ダメと言われたことは深く考えることもなしに「とにかくだめなんだって」と了解し、それ以外にあるたくさんの危険の可能性には配慮することができない...そういう若い保育士を育てていく可能性もある。

もう一つは、そういったこと以前に、国や保育園を運営している機関自体が保育士を守る策をどれだけとってくれているのか、まずはそっちではないのかな...ということ。

乳児を連れての散歩など、本当はとっても怖いこと。坂道をバギーを押して散歩しなければいけないような園もあり、園によってはちゃんと自動ブレーキのついた高額なバギーを購入しているが、そうではない、保育士が転んだり、手を話したらそのまま坂をバギーが転がり落ちていくようなところもたくさんある。そういうところこそ「保育士を守るため」に上がきちんと配慮するべきだし、本来であれば、乳児には園庭の設置を義務づけることを国が

ぼくの好みじゃない

三男「ぼくには、どうも日本の音楽ってピンとこないんだよね。お父さんもK(二男)も、車のエンジンをかけてJ‐popが流れると、なんだこれはー!っていっている」

私「私は、車のエンジンをかけて、テクノが流れてくると、なんだこれは―!!と思うよ。

 J-popを好きにならなくてもいいけど、あんたたちは、きっと日本人としての私を一生理解しないだろうね。お父さんなんて、早々にあきらめたみたいだし」

三男「お母さん、円満な家庭を築くコツは、早々にあきらめることだよ」(^^)/

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次号(2018年春号)のお便りのテーマは「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿」。

というわけで、頭の中でこのテーマがぐるぐるまわっているのだが、例えば、「自分の意見を相手に伝える」はどこに入るのだろう。

自園で虐待はないと言いきれますか?

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大阪での虐待死の事件を知り、暴行を加えた大人たちに憤りを覚え、何とかならなかったのかと児相や周りにいたであろう大人たちを非難した保育関係者は日本全国にいたと思う。

でも、その中に、保育園で行われていることとどこか似ている・・・と思った人は、どれだけいただろう。私は、この虐待の方法を読んだとき、まず、そう思ってしまった。

良いおもちゃ、悪いおもちゃ

「良いおもちゃ、悪いおもちゃ」この表現に悩まされている、もしくは、振り回されている・・・「これは悪いおもちゃですよ」と言われて捨てたのに「あれは必要な遊具だったのに・・・もったいなかったですね」と言われて頭を抱えた経験のある園は、日本全国にかなりあるのではないかと想像している。

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fuyu senro.jpg

マイバ幼児保育園 2018年1月(異年齢クラス)

この遊具が良いのは、「木のおもちゃ」で「どこかの有名なメーカーのもの」だからではない。

机の上に場面を作ったことで、この異年齢クラスの年少の子たちにとっては、大きな子たちとちょっと離れた空間で"練習あそび"を安心してできる。そして、そこに大人が冬の場面づくりを提案することで、子どもたちが経験したことを思いだしたり、想像力を生かしたりして、年齢なりの、その子たちなりのあそびができる。「このおもちゃがあればいい」「このおもちゃがあることで子どもたちが発達する」ということではないのに、どうもそこが誤解されやすい。もちろんおもちゃがあることで子どもたちの発達を援助することができるのは事実だが、何を、いつ、どんな風に、何のために、が考えられなければ逆効果になることも多々ある。。

で、これを読んだ方が「そうか、異年齢の年少たちには机の上にこういった場面を作ったらいいのね」と解釈したとしたら、それも違う。たまにはこういう場面があるのも良いし、あそびの空間づくりのバリエーションの一つ、という意味ですよ。

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ハンガリーの教育プログラム(幼児の保育指針)

今回のお便りのテーマを「10の姿」にしたので、保育指針をいまだかつてないほど熱心に読んでいる・・。

そして、このややこしさはいったいどこから来ているのだろうか・・・と考えている。

保育や子どものとらえ方の出発点がはっきりしないからなのか、一つ一つの言葉の概念が明確ではないからなのか、到達点とそこまでの過程のつながりが分かりにくいからなのか・・・

関心のある方のために、ハンガリーの教育プログラム(幼児の保育指針)の訳を添付します。これは2009年度のもので、最新の指針は2012年度に出ていますが、その訳には取りかかれていません・・・今年中には頑張ります!(でも、大筋での大きな変化はありません)

ハンガリー幼児保育園教育基本プログラム 2009年版 (3) .pdf

ハンガリーは乳児と幼児の指針が分かれており、乳児の指針の一つ古いバージョンはくるみの木で冊子として販売しています。新しいバージョンでは、家族を理解し協働の重要性と、早期に子どもの発達を見極めて援助していくことが強調されています。

こういった場で紹介するつもりで行った訳ではないので、誤訳・誤字脱字などなどあるかもしれませんが、ご了承くださいませ (^^;